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印南祭を終えて [ヨガのこころ]

日曜日、とってもいいお天気で本祭を迎え、そして終わりました。
「今年も終わったな~」という声が聞こえてきて、祭の後のさみしさもしみじみ。

今年は、「宿」というお世話係?の役目が回ってきて、ご近所の方と3人で
お祭りの主役である男性たちが集会所や浜でする食事のお世話をさせていただきました。
と、言っても昔と違って、料理は買ってきたもの。お寿司を切ったり、かまぼこを切ったり
食事用にテーブルを整えたり、片づけをしたりするぐらい。買い出しもやっていただいたので、
私にとっては、仕事の内容は、それほど大変ではなくて、おしゃべりする時間も余裕もありました。

普段は、顔が合えば挨拶する程度の知り合いだった方とたくさんおしゃべりできたし、
準備や片付けのやり方も自分とは違って、「心遣い」をされる様子が勉強になったり
とてもいい体験ができました。

「宿」は、有志がやるのではなくて、地区の家が持ち回りで担当するので、
「やりたくない」とか、言えるものではないのです。
それこそ、カルマヨガ。役割を与えられたものを実行するだけ。

でも、そこから見えるものがある。

仕事のやり方もそうだし、ご近所とのつながりを感じるし、知り合っていくことで
身近になっていく。他人事ではなく、自分事になっていく。

知った人に対しては、親近感も持つ。

もし、災害があって、避難をしたとして、見知った人、話したことがある人たち
と一緒にいるのと、全く知らない初めて会う人たちと一緒にいるのでは、
居心地が違うだろうな、と想像してみて。

割り振られた仕事としての地区の中での役割って、すごいな、と思いました。
断れないから、仕方なくでも仕事を一緒にすると、見知らぬ人は知人になり、
気になる人になり、放っておけない人になる。

もし、道で倒れているのを見かけたら、助けるし、
困っている様子なら、声をかけるし、
元気そうなら、うれしいし。

私が、夫の生まれたこの土地で暮らすようになって、
みんなに「見られてる」感じがあったのですが、
それは、「見守られてる」だな~って、感じるようにしてきたんです。

でも、今回「宿」の役をやってみて、本当に「見守られて」いたんだなって思いました。
だれも、上げ足をとったれ、とか、嫌味な目で見てるんじゃなくて、
本当に地区全体が大きな家族のように、見守ってくれてたんだな~って。
自分の中にも、住む地区を「うち」と表現する気持ちが湧いてきて、
自然と「うち」って、自分の地区のことを言っていて、地区全体が私の「うち」だと感じたんです。

お祭りって、きっと、そういう意味もあるのでしょう。
収穫を感謝して、地区という大きな「うち」のつながりを感じて、強くしていって
災害とか、何かが起きたときに、みんなでまとまって事に当たれるように。

もちろん、一緒に屋台を担ぐというしんどい思いを共有している男の人たちの帰属意識は
もっともっと強いのだと思います。だからこそ、私の夫も何の不満も言わずに
「道づくり」とか、参加するんだわ~。

東京の私の実家も祖母のいたころは、町内会が機能していて、私自身、近所の方にも
気にしてもらって、かわいがってもらって育ちました。
だから、この今の夫の故郷の地区活動にもそれほど抵抗はないのです。
いや、今年は役をさせてもらったおかげで、前よりずっと居心地がよくなりました。
自分の居場所が、広がって、地盤が強くなった気持ち。

格差社会とか、孤独死とか、引きこもりとか、
どこか違う世界の話のようです。
それぞれの家で、事情は何か抱えているだろうけれど、「地区」という共同体が
互いに見守っている。見張られているという取り方もあるでしょうけれどね。
私は、見守られている気持ちになりました。

愛を素直に受け取れるようになったな~。

そして、私の中にも見守る気持ちが湧いているのです。
地区のこどもは、みんなのこども。地区のお年寄りも然り。
私にできること、なんかありそうな気がするよ。

ちょっと、こっそりと考えよう。




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