So-net無料ブログ作成
検索選択

おばあちゃんな私 [介護]

昨日、今日と東京でマスタースダカーのもとシニアヨガの勉強をしておりました。
私もおばあちゃんになって、椅子に座ったままで動けるやり方などなどなど
教わり、練習をし続けた、あっという間の二日間でした。

中身は、濃厚。
今までの学びが濃縮されており、
どんなに身体に無理がある人もヨガから、体に自由が効く人と
同じく美味しい効能を受け取れるような工夫がいっぱいでした。

それを「わー、すごい」と、言ってしまう私ですが
実際には、もう既に美味しい効能を得られるあれこれは、
今までに教えてもらっている。
私は、そこで手に入れたものが素晴らしいことを知ってるのに
それをどんな人にも渡したい!という思いやりや
どうしたら手渡せるか、と考えることや
これをこうしたらいいんじゃない?と思い描くことなどが
足りていませんでした。

なので、マスターが教えてくれることを思いつきもしなかった。

口を開けてエサを入れてくれるのを待ってるだけ。

今回、基本を応用させる方法をたっぷりと惜しげなく教わった。
これもまた、その意味や意義を考えず、ただただ手にするだけでは
今までと何も変わらない。

手にしたものを、錆びつかせ曇らせないように磨き続けないと。
無駄なことを考えている時間をヨガのことを考える時間に。
時間がない〜と言い訳している私の時間の大半は、
必要のないことで占められていることに、私自身、割とはっきり気がついてるし。

そしてなにより、私のメンテナンスもちゃんとしなくっちゃです。。。
使えていない部分、身体も頭も錆びつかせないために。

足踏みしたり、暴走したり、後退さえする私を根気強く導いてくれる師がいること。
同じ方向を向いて、一緒に進んでいける仲間にめぐまれていること。
自分の仕事を大好きと思える今。

あと、自分を愛する心と、周囲を愛する心を常に持てれば、最強でしょ。
言い訳しながら流す涙は拭いて、歩いていこう〜。

片足立ちで靴下を履けますか? [介護]

気になっているだけで、私の中でぐるぐるしてても仕方ないので書かせてください。

先日、車で40分のちょっと離れた町のこども園で、ママヨガをさせていただきました。
普段から集まっていらっしゃる町主催の育児サークルのような集まりに呼んでもらったので
和気あいあいと、楽しい時間を過ごさせてもらったのです。 が。

私より若いと思われるママたちの足腰の弱さに、びっくり。
四つん這いのバランスポーズで、コロンコロン転げる人続出。

「今日はヨガです」と、いう告知をしてもらっていて、
それを楽しみに来てくれてる方たちなので
体を動かすのは、きっと好きな方たちなのだと思うのですが。

最近、ママ世代の「尿漏れパット」がCMでしょっちゅう宣伝されてるじゃないですか。
あれって、昔は人に言えずに生理用パットを使っていたけれど、
思い切って、尿漏れをオープンにして、それ専用のパットを売り出しました。
と、いうことなのか、尿漏れ人口が増えたということなのか。
どうなんでしょうか。

筋力が落ちて、膀胱括約筋が弱くて、おしっこが保持できない人が増えてるのではないのか?

助産師の方が、田舎の車社会の方が、切迫早産の危険で安静のために入院する率が高いと、
おっしゃっていたのは、やっぱり足腰の筋力不足のせいじゃないのか?

と、いう私もマスターワークショップに参加すると、足がブルブルと
生まれたての子鹿のように震えるのです。

足が笑う~。きつい~。もうだめ~。って、笑ってひっくり返ってそれで終わり。
で、いいのか?

レッスンの最後に普段の生活の中でも、できること。
肩を回すとか、つま先立ちをしてみるとか、四つん這いでぞうきんがけするとか
やりましょう~と、話させてもらいながら、ちょっと泣きそうになりました。

ママたちが、腰痛い、肩痛い、頭痛いとしぶい顔をしていたら、
子供たちは心配になるんですよね。
私も母の不調はいつも心にひっかかっていたもの。

0歳の赤ちゃんを抱えたママが、腰が痛くて、その0歳の赤ちゃんが10歳になったとき、
20歳になったとき、ママの腰はどうなってるのか。
具合悪いママのことを心配する子供たちのことも心配。

私のおばあちゃん世代は、どこへも歩いてたし、トイレも和式、掃除も雑巾だったけど、
私たちはスーパーに行くのも車で、トイレも洋式。掃除も掃除機。最近は掃除はロボット!

それで1年後、5年後、10年後、その先の私たちの体はどうなってるんでしょう。
ママの笑顔は、家族の幸せなはず。
高齢化社会と言いうけれども
今は、動けている私たち30代、もっと若い20代、働き盛りの40代も
この筋力のままだと、ロコモティブシンドロームだらけになるんじゃないかしら。
みんな笑顔でいられるかしら?
ロコモティブシンドロームのテストは、自治体で主に50歳以上に行われているのですが
こども園の保護者会とかでもやってみたらいいのにと思うのです。

東京にいたころは、電車通勤だったから今と比べると歩いてました。
だけど、私、和歌山に来てからは、ほとんど歩いてません。えばれるぐらいに。
でね、マスターのヨガに出会って、太ももも意識して使うようになったら、足の冷えが減りました。

私の声は、小さくて、私の中に芽生えた「若い世代の足が心配」という気持ちは
私の周りの人にしか届けられませんが、心配してるだけじゃどうにも仕方ないので
一緒にヨガをできる仲間には、足を使ってもらおうと思います。

足!その太ももは、ただ太いだけじゃない、体を支えるためのもの。使いましょう~!
役割を果たさせてあげましょう~!!





知っているということ [介護]

先日、父から知人が入院した話を聞きました。
精神的に普段では考えられない行動をとるようになり、
本人は認めてはいないけれど認知症を疑って入院となったということ。

それを奥さんがポロポロと泣きながら話してくれたそうです。

その奥さんは、うちの母がうつ状態だったときにも
声を掛けてくれていたし、その後の母の認知症様症状も知っているし、
入院し、自分を取り戻して家に戻って来れたことも知っている人。

母のどうにもならなかった状態から、今に至る過程を知っているので
今回のご主人の状態にもある程度冷静に対応できた、と言ってくれました。

知っているということは、とても大事ですね。

私も自分の母が、あの状態になっていたころは
悪夢の中にいるようでした。

母自身もほとんどあの頃の記憶がないそうです。
嫌な思いをした、ということだけ覚えているようです。
脳の暴走状態なのか、ほとんど食べていないやせ細った体で
いったいどこにこんな力が?と、いうすごい力で抵抗をしたり

筋肉も衰えているので、よく転んだので入院中はベッドベルト
くくりつけられる「拘束」という処置をとられたのですが、
それから、母の妄想状態がエスカレートしていきました。

私は、この頃の入院中に1週間ほど顔を出したのですが
骨の上に皮がついているだけ、目は見開いて、ずーっとうわごとをくり返している
母の変わり果てた姿に、自分の心も冷え冷えしていくのを感じました。

その後、認知症専門病棟へ転院し、拘束もとかれ、適切な看護受けていくうちに
次第に自分を取り戻し、退院でき、あれから2年以上経ちますが、
ガンが広がる前は私たち夫婦旅行もできましたし、普通に会話もできています。

こんな日が戻ってくるなんて思えなかった。

認知症の人がみんな母のような奇跡に恵まれるわけではないでしょう。
でも、人が変わったようになる、という症状は脳の暴走の可能性がある。
と、いうことは言えると思います。

結局、母は認知症なのかうつなのか、ICUシンドロームなのか病名としては
何だったのかはわかりません。それに今も投薬は続けています。

「なんかおかしい、変だ。」と、いう変化が身近な人にみられたとき、
年のせい、退職して環境が変化したせい、そのうち落ち着くと見守るだけでなく
医療機関に相談することも大事だと思うのです。

母のうつ状態は長く続き、家族中で疲弊し、治療もずっと続いていました。
いっこうに良くはならず、強迫症状もどんどん強く出るようになり、
私もひたすら、よくならない母を責め、何もできない自分を責め、
今思い出してもぞっとする渦にグルグル巻かれていましたが、
入院という措置は、母を放り出すことになるのではないか、と家に抱えこんでいました。

でも、母自身が自分をどうにももてあますようになって、「入院したい」と、言い出してくれたことで
入院中の拘束、状態のさらなる悪化を見て、絶望したけれども
結局は、転院先で回復を見たので、入院までこんなに遠回りしなければよかったのかもしれない
とも感じました。

介護は家で、家族がすることが一番いい。
か、どうかはその状態によると思います。
家族が疲弊したとき、どうにも手に余るとき、
やっぱり、入院は必要です。

今回、知人の入院を聞いて、それを知人の奥さんが選択できた後押しに
母のことがあったと聞いて、母と私たちの苦しかった時間は、人の役に立ったということに
意味があった気がします。

知人の回復を祈ると共に、くたびれ果てている患者家族の人が
ほっとできる時間が持てるように願います。

知っていること、って大切ですね。

何が正解というものはないですが、入院したり、医療機関に早めにつながって
人に頼ってもいいんだっていうことは知っていていいと思います。

抱え込んで、共倒れにならないように。









純と愛 [介護]

見てますか?
NHKの朝ドラ。

主人公の純ちゃんのお母さんが若年性アルツハイマーになちゃってて
それをどうにかしようとする純ちゃんの空回りの奮闘ぶりが

自分に重なります。

純ちゃんは、お母さんを責めないでがんばっていて偉いなって思います。

親の介護、つらいですよね。
自分が面倒をみてもらってきたのに
立場が逆転することになって、

それを自分が納得いかない。
私は、自分の納得いかない気持ちを
弱ってる母にぶつけました。

あの頃のやり直しはききませんが、
あの頃の私をぎゅうって抱きしめてあげたい。
あの頃の母も抱きしめてあげたい。

自分に余裕がなかったら、自分にも周りの人にもやさしくできませんよね。

あの頃はアップアップしてる自分にも気がつかないほどアップアップでした。

今は?

今はね~、というか本当に最近になって、
自分を優先して、手をかけ、かわいがり、ねぎらいっていうのが
やっとやっとできるようになってきました。

そしたら、
実家の母とスカイプを毎日してるのですが、
それも面倒じゃなくなって、気持ちの重さがないんです。

そして、早起きがキツイと思いながら作っていた卵焼き。。。
最近、寝坊をしても自分のケアをまずしてから弁当作りをしています。
ケアっていっても肋骨下に手を当てての深呼吸だけですが。

深呼吸だけでなんとなく、気持ちに余裕ができるので、
卵焼きを作るとき溶き卵をかき混ぜながら「美味しい卵焼きになろうね~」って
ルンルン気分で作ってるんです。

そしたら、お昼に食べる弁当の残りの卵焼きがおいしい!

心の余裕は大事ですね。
純ちゃんも余裕が持てるきっかけを見つけられるといいな。

私の母の場合、
認知症の症状は特に進まず、改善をみたまま過ごしてくれてます。

もし、また認知症の症状が母に出たら。
私は今の余裕の気分で過ごせるだろうか。
また、キリキリしないだろうか。

どうかな。わかりません。でもね。
たぶん、前よりちょっとは免疫ができてます。

「おお!また困難がやってきたぞ」と、余裕で対応できたらいいな。

純ちゃんの様子に切ない気持ちになりますが、
どうなるのか明日も朝ドラ見ちゃうな。













前頭側頭型認知症 [介護]

東京に行って来ました。
今回の東京滞在中は、母を病院から外泊させて自宅で3泊4日一緒に過ごしてきました。

母が作った料理を3年ぶり?に食べました。
こんなことが起きるなんて奇跡。

母の笑顔をやっぱり3年ぶり?に見ました。

母と一緒に過ごしても私、ため息をつきませんでした。

母の回復というか、状態のいいことに涙が出そうに感激。



母は前頭側頭型の認知症と診断を受け、
現在は、認知症病棟に入院中です。

この認知症、一般的に少なく、また若年性65歳以下で発症することが多いそう。
人格が変わった!というのが特徴的な症状で、うつ病や統合失調症と診断を受けることも多いそうです。

母もうつ病の診断を受けてきましたが、思い返せば初期症状は6年ぐらい前からあったように思います。

治療法や治療薬も「これ!」といったものはないそうです。
母の場合、周囲に人がいるという安心感や、スケジュールに沿って動く生活とか
薬を決められた量を決められた時間に飲むことでの薬の効果がでているのだと思います。

劇的に状態がよくなりました。具体的には、

・食事、食べ物、料理すべて拒否的だったのに、自分で作りたいものを考えて料理をし、
通常の量の食事を摂ることができるようになった。
・外出を拒否していたのに、電車に乗ってデパートに行って買い物を楽しめた!
・捨てることを嫌がっていたのに、冷蔵庫の整理でものを捨てることができた。
テレビ、本を読むこと、集中することができなかったのに、どちらも積極的に楽しんでいる。
・じっと座って作業をすることができなかったのに、塗り絵、刺し子、折り紙など手作業が長時間できる。
・表情は固まって、眉間にしわを寄せっぱなし、不安な顔しかしていなかったのに、今は笑える!
・自分の不安を訴え続けるだけだったのに、世間話ができるようになった。
過去の思い出話だけでなく、今の病院での作業の話や、未来のお正月の話までもできるようになった。



私の母は、もう病気にとらわれて、いなくなってしまったという気分でいたのに
母がまた戻ってきてくれたような気持ちになりました。
つじつまの合わない部分もいろいろありますが、この母の状態は以前は期待すらできなかった。

今までの私に、こんな日が来ることを伝えてあげたいです。
病気の人そのものももちろんツライですが、周囲もまた別の意味でツライですものね。

急激に状態がよくなっているので、今はこの状態がなるべく長く続くことを祈るばかり。

もし、どこかに私たちのようにあまりメジャーではないこの前頭側頭型認知症で
苦しんでいる人がいたら、劇的に状態が改善することもあることを知ってほしいと思います。

私自身、どれだけ笑顔でいても、ずっと気にかかっていましたし、苦しかったし、きつかったし、
早く終わってくれと思ったし、よく過ごしてこれたなと思う時間でした。
こんなふうに母の作ったものを食べ、一緒に笑える日がまた来るとは思いもしなかった。

死こそ救いと思っていたけれど、こんな日が来るなら死に救われなくてよかった。

母のためにがんばってくれている父と弟夫婦と、私を支えてくれている夫に感謝。
人生万事塞翁が馬ですね。

nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

専門病院のすごさ [介護]

東京滞在も今日で最後。

前頭葉側頭型の認知症と診断された母の様子をまとめてみると、

6月にT病院入院中だった母の様子
・転倒防止のためにベッドに拘束されていた
・歩行ではなく、移動は車椅子
・食事は拒否する事も
・一日中、ぶつぶつと繰り返し独り言を言い続ける
介護に対して拒否的言動

8月に転院したM病院での現在の母の様子
・拘束をとかれ、自立歩行が可能になった(一時外出時には1キロ近く散歩もできた)
・スケジュール通りの生活により、状態が劇的に良好になった
・独り言はなくなり、着替え、排泄も自立
・食事を摂るようになり、体重が増えてきた
・集中できるようになり、ぬり絵、刺子などの作業もできるようになった

M病院では、認知症病棟に入院中なのですが、専門病院はすごい。
ここまで状態がよくなることは期待もしていなかったので、うれしかったです。

母に会うことが苦しくない!!という変化も私にありました。

ありがたいな、うれしいなということがたくさんあって、今回の東京滞在は
久しぶりに「よかった~」という気持ちで終えられそうです。

滞在中、会えた人たちからもらったパワーを抱えて元気に和歌山、帰りまーす。


あ!東京で歩き回り続けたのでジーンズがゆるくなりました。
昨日、歩いていてジーンズが落ちてくるので気がつきました。
歩くってすごいことですね。ブログで言うとやらないわけにいかないので言っちゃいます。
和歌山でも歩きまーす。

人の尊厳ということ [介護]

東京から帰ってきました。

母が先月から病院へ入院しまして、
いつもは帰京すると母に張り付きになるのですが、
今回は、自由になる時間がだいぶ持てたので
友人と会ったり、4年ぶりにお墓参りに行ってみたりもしてきました。
それはとっても楽しく、うれしかった。

母は去年の8月にもM病院で「認知症」と診断を受け、
その病院からの投薬で、ほぼ寝っぱなしになるような状態で
起きているときもふらつきがあって転んで前歯を折ったりしていたのですが、

その後、10月から往診のがん患者の終末期在宅医療を専門にしているクリニック
かかりつけを変更し、そのクリニックの精神科のDrから「強迫症」であって
「認知症」ではないですと、診断されていましたが

投薬を続けてみるも効果があるなという手応えもなく
3月、4月と私が電話をかけてもまともに会話にならない状態で
5月の半ばに自分から「入院したい」と訴えたので
緊急でK病院へ入院し、その後近所のT病院へ転院しました。
T病院での検査の結果は

前頭側頭型認知症

症状は、母の状態そのもの。

T病院は急性期医療の病院なので、3ヶ月以上入院ができません。
そこを退院して家で、家族でこの状態の母を看るのは無理。
T病院を退院後は、母には施設か、長期療養型の病院へ入ってもらうことにしました。

母は今、入院してから転倒を2度したため、安全措置として
家族や看護師がそばにいないときは、拘束といって、ベッドから降りられないように
腰のベルトで行動を制限されています。

母を見舞っている間、まともに会話ができるのは、4時間いても3分くらい。
それは、家にいても同じようなものでした。
でも、家だと私がイライラしてしまって、それに気づきもしなかった。

飼っていた犬のことを話して「かわいかったね」とか、
病院から見える新宿を見ながら、「お母さん、昔は新宿の学校へ行ってたんでしょ」
「そうよ。楽しかった。あの頃は若かった」とかのやりとりはできましたが、

それ以外は、ずーっと繰り返し母がつぶやき続けるだけ。
「なんにもできなくなった」とか
「死ぬのを待つだけ」とか
「どうしよう」とか
「大馬鹿やろうだよ、私は」とか
「このままずーっと何年も何百年も待ってるだけ」とか
「大変なことをしちゃった」とか

家にいるときは、自分でストーマの装具の準備をしてお風呂に入っていましたが
病院ではお風呂に入れてもらうのに看護師さん総出。
母が大騒ぎをして、抵抗するからです。
お風呂場から「殺されるー。死んじゃうよー。」と叫ぶ声が続きました。

母と犬を一緒にすると犬を飼っていない人にはなんじゃと思われるでしょうが、
うちの愛犬が晩年、痴呆で、顔から生気がなくなって、
ぼやーっとした顔、表情のない顔になっていって、
食べること以外、触れ合うことのやりとりにも反応がなくなって、
お風呂に入れると断末魔のように叫んでいたりして。

なんだか似ていると思いました。

母には育ててもらって、ずっと面倒を看てもらってきたのに
母の面倒を最後まで看ずに、施設へお願いすることに申し訳ない気持ちもありますし、
「認知症」と言われると、「強迫症」と診断されたときよりも
治らないということで、母への情けないような気持ちは薄くなりますし、
「かわいそうだな」という気持ちもでてきますが、

それでも、あの状態の母を看続けることができるのかと言われれば、
私にはできません。
とても残酷なことだけど。期限がないから。

ひどい娘ですね。

叔母が、母の今後の病院探しを手伝ってくれて、
訪ねたJ病院のワーカーさんに「もう家族はできる限りやったんです」と、
訴えてくれましたが、私は遠くに住んでいる分、びっちりと母に振り回された父や弟家族ほど
くたびれきっていない感じで、なんだか申し訳ない気分でした。

それに、ずっとべったり一緒にいて看ているわけじゃないからこそ、
「かわいそうに」という言葉も出てくるのだと思います。

私は、そんなに辛抱強く、人を看れるとは思わない。
母が病院にいて、見舞っている間だけだから、
ストーマの世話も優しい言葉がけでできるのでしょうし、
実際、母が家にいたときは、こんな顔を母に向けていなかったなと
病院で何度も思いました。

家に母といるときは、私、母のこと、すごい顔してみてたと思う。。

愛犬だって、オムツを替えて、ごはんをやってという世話をやくだけで
うろうろ徘徊しているのを見ていられなくて、犬が1階を歩き回っている中、
私は2階に行ってたりしてましたから。

私には、24時間母を看続けることはできません。

でもさ、
母が料理を作ってくれて、洗濯をしてくれて、洋裁や和裁をしてくれて
そういう環境で育ってきたから、その背景があって私がいるのは確かで。
母が以前の母ではなくなっているけれど、私の中にも母がいる。

私は、母のように自分が自分でいられなくなる最後は送りたくないけれども。。。

今は、母が楽になれたらいいのにと思ってしまいます。
混乱して、怖がっている、そいういう状態を脱せれたらいいのにと。
それを薬でしようとすると、ひたすら眠り続けるような状態になって
歩いたりすることができなくなると言われました。

犬のときもそう思ったけれども、尊厳てなんだろうとか思っちゃう。
どんな状態でも生きていたらシアワセなことなんだろうかって。

「死もまた救い」っていう台詞をドラマのJINの中で聞いてから
たまにそれが頭をよぎります。

あと「高瀬舟」とか。

なるようにしかならないと思うし、
流れるようにしか流れないと思うし、
人生は思い通りにならないと思うけど

私の心が整理できるのはまだ少し先になりそうです。



最近まったくヨガブログになってないです。
私の吐き出しブログだわ。

母を看ることより、優先したいものがある私の人生なんだから
私は私の人生を大事にしなくちゃな。
今も大事にしていますが。甘やかしじゃなく、大事にしないとな。

と、いう結論で筋トレをしようと思います。
腕立て伏せができるようになるのはいつのことになるか。

でもね!腕に筋肉ついてきたおかげで、今日も冷房のきついスーパーで
レイノー症状がでないで買い物ができました。

さあ、これからはヨガブログに戻していきます。お付き合い、ありがとうございました。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

がんが消えました。 [介護]

毎日暑くて、今年は去年ほど暑くならないからエアコン要らない!と
春先に私が下した判断が正しかったかどうか、迷っています。

でも、私エアコン嫌いだし。
きっと、夏は去年ほど暑くならない!と望みたい。


最近全くヨガブログになってませんが。
水曜日、木曜日、そして今日とヨガレッスン続いております。
私の中でブームになっている腕の筋肉を鍛えて肩こりを解消をするため
腕立て伏せのような棒のポーズや、旗のポーズなどをやってます。


さて、実家の母ですが一年ぶりに画像診断を受けたところ
7月に最後の抗がん剤投与を受けて10ヶ月が経過しましたが、
抗がん剤投与をする前は3cm、抗がん剤投与中の途中経過では1.5cmあった腫瘍が
消えていました。

通常の標準治療の抗がん剤にアレルギーがでたので
エビデンスのない抗がん剤で最後の治療をしていたので
抗がん剤の効果なのか?どうなのか?

朝と昼にしか食事を摂らないでいたので、栄養状態が悪くて腫瘍も消失?

まだ腹部の結果しかわかりませんが、もともとあったものは無くなっていました。



でも、精神状態は混乱をきたしていて、
ついに自分から「入院したい」と言ったので
昨日、弟が調べて専門の精神科病院へ父と連れて行き
強制入院となりました。

うちの夫は
「がんが消えたのだから、精神的な混乱が収まればよくなる」
と、力づけてくれるので

これは希望と思おうと思います。
「がん」そのものより、自分の体が、健常ではない。
そのことに苦しんでいる母と
苦しんでる母を見るのが苦しい私と。

私たちの希望になる治療がされる。
そう信じたいと思います。

運命って便利なことば [介護]

昨日も夜は10時半過ぎに就寝。
健康的な東京生活を送っています。

今朝は母の叫びで朝3時半に起こされましたが。

帰宅して5日目。
なんだかちょっと、母が落ち着いてきちゃって
みんなが言うように「ひとりじゃない」って安心感ゆえでしょうか。

今日は病院の外来に言ったり、ストマ装具の交換日で
イベントフルで疲れたせいかもしれませんが、
昨日より不安を言う口数が減ってラクです。

でもね、母に毎日べったり付きっ切りではいられません。
私は和歌山へ帰ります。東京に来るのは、また来月。

先月は、和歌山へ帰る日に
来ていただいてるヘルパーさんに
「娘さんがもっと近くにいたらよかったのに」
駅に向う道で会った近所のおばさん
「遠くにお嫁に行くからお母さん病気になったのよ」
と、続けざまに言われて
最寄り駅で涙をこらえてましたが、

これもそれも全部運命じゃんと、
運命のせいにして、泣かずに和歌山へ戻ります。

誰が悪いわけでもなく、運命。

母の日 [介護]

昨日から東京です。
そして今日は母の日。

実家の母は相変わらずです。
搾り出すように声を出しています。
その声、聞いているのがつらくなります。
常に不安を訴えてますしね。

今、私が頼りにしているブログがあります。
↓このブログ。
催眠療法を実施している医師のブログ

母の強迫の状態は強化されていて、最近は自分のルールで水をとりすぎて
低ナトリウム血症を起こして、ふらついて転んで壁に頭で穴を開けました。

自分で自分を癒すことができたらいいのにね。
自分を支配しているのは自分の作ってしまった無意味なルールだということに
気がつくことが出来たらいいのにね。

産んでくれて、育ててくれたから私がいるということを
感謝しなくちゃと思うけれど、今の母をいまだに受け入れられません。

「神様、どうか私が人から愛や承認や感謝を求めることがないようにお助けください」
という祈りがあることを先のブログで知ったのですが、
それができてないから祈るんでしょうね。

それができたらどれだけ気持ちが楽になるか。
母の日なのに。