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最小限の肉体の努力で [ヨガのこころ]

今朝、ようやくウグイスの鳴き声が聞けました。
春です!!

気が付けば、東京でのヴィジョンオブヨガから帰宅して1週間。
今日は、久々に中期のためにマスターからいただいた
「宿題フロー」をやってみました。

筋肉は足りなくて、ブルブルフルフルはするんです。
片足立ちがキープできずに、なんども床に足をついたりもするんです。

だけど、なんと、流れる汗にならない。
はあはあと、息も荒くならない。
ま、ね、キープ時間が短いのもあるのでしょう。
だけど、後期が始まる前は、同じようにフローしてて
汗がマットに落ちていたし、ぜーぜー言ってた。

フローは、宿題!やらねばならぬって1回目のヴィジョンオブヨガを受けたときは思ってました。
でも、今は、このフローをマスターがくださったことに愛を感じられる。
「ヨガの効能を受け取りなさい」って思って作ってくださったフローなんだって思う。

無理やりに力むのを、ようやく手放せたみたい。
いや、筋力のなさを棚にあげてはないです。
でも、力まないから、足が上がる角度が変わった。

関節が、動く範囲に体は動かせるって気が付けてよかった。

前回のヴィジョンオブヨガの受講中、先輩が
「体の動かし方がわかった。前のヴィジョンオブヨガの宿題フローもやってみたい。」
って、言ってるのを宿題フローなんて、もうやりたくないって思いながら
「へ~」って聞いていた私。

でも、今はその先輩の言葉がわかる。
そして、今、自分が味わっている感覚を伝えたい。

先週から、私のレッスンは、片足立ちバランスの時間が増えてます。
で、私の気づきを共有してもらっているので、みんな片足立ちしながら
後ろにのけぞらなくなっています。

伝わっていくことが、すごくうれしいです。

本物のヨガ、もっと知って欲しいな~。みんなに。

4月から、ご縁をいただいて、以前にもお世話になっていた
御坊市の勤労青少年ホールの30人だってはいれる会場で
レッスンを復活させていただくことになりました。

予約不要です。4月は5日の水曜日、19時からになります。
なんと!500円です!!マットご持参でいらしてください。

シルシアサナがやってきた [ヨガのこころ]

正しい練習の仕方を教えてもらっていても、
それを知っていてもやっていなかったら意味がない。

私は、シルシアサナが一人ではできなくて、
そのアサナができる日が来るとはとても思えなくって
そのアサナのための練習方法を教えてもらっていたのに、
まじめに取り組んで来なかったのですが、

8月のレヴィジョンオブヨガに参加してからは、
ほぼ毎日(週に1日はお休み、生理中もお休み)練習を続けてきて
その練習メニューにシルシアサナのための練習も入れていて
いつかきっと、アサナが来るんだ。
いつ来るんだ?
いつか来るんだ。

っていうか、私はその先のピンチャマユラアサナのために練習してるんだも~ん。
って、思いながら続けてきたのです。

そして、この日曜日に仲間との練習会で、私の状態を見てもらって
「肘が浮かない練習が必要だね」と、アドバイスをもらって
肘を頭の高さに引き上げる練習をしてもらって、
それも自分の練習に加えて、2日目。

いつものように、物は試し。と、シルシアサナに挑戦したら!
私、足を伸ばして床に垂直に頭を下にして、肘を支えに立っていました。

ポーズでいられたのは、数秒。だったけど、2回も立てたの。

人生初の自分だけで立つシルシアサナ。

努力は、裏切らないんですね。
正しい努力ならば。

体を支えるための壁は必要なかった!!
自分の体が準備が整えば、部屋の真ん中で、マットの上で一人で
逆立ちができるんだ!!

なんか、なんでもできそうな気がします。
あきらめなければ、練習をやめなければ。続ければ。

継続は力なり。の言葉を疑いなく信じられる。今なら。

私を正しい練習に導いてくれた師、マスタースダカー。まどかさん。
そして、アジャストしてくれて、アドバイスをくれる仲間。
そして、練習を続けた自分。
うれしい。ありがたい。ありがとうございます。

私は、まだまだ成長します。


胸が開いた気分 [ヨガのこころ]

胸の真ん中に白い小さな扉があって、それが開いてハトが飛び出してくるような気持ち。

私には、弟がいます。2歳下です。
お姉ちゃんと追いかけられるのが、うっとうしくて、かわいくて、うっとうしくて。
よく泣かせました。力で勝てているうちは、力で。
弟のほうが力が強くなったら、言葉でメッタメッタにやっつける。

いじわるいっぱいして、親に怒られる様子をみれば、「ざまあみろ」と思って
でも、学校のマラソン大会で1位をとる弟、野球で活躍する弟は自慢な誇らしい弟。

母の介護のためにいろいろしてくれたし、
父と母と二世帯同居もしてくれてるし、
母の葬儀の手配もどんどん動いてくれた。

結婚して、お嫁さんと二人の子供という家族を増やしてくれたし。

弟を小さいころから押さえつけてきた私。
決定的な「これ」とか、「あれ」はなくても
数えきれないほど、「馬鹿」と言ってきました。

感謝の言葉も足りてないよね。

父と弟の奥さんには、去年のVOYのときに
「ごめんなさい。」も「ありがとう。」も伝えられたのに
弟には、伝えられてなかった。

気になってたし、弟の奥さんからも「お姉ちゃん、言ってあげて」って
言われてたのに、面と向かうと弟は「いいよ」と逃げるし、私も追いかけないし。

でも、やっぱり。
電話してよかった。

弟は、「なんか変な宗教始めたの?」とちゃかしてきましたが、
ちゃんとそこは、改めて言わせてほしいと、「ごめんなさい。」を聞いてもらった。

全然、気にもしてないそうです。
私が思うようには。

彼のほうが、実家の土地を全部自分名義にして家を建てたことなどを
私に申し訳なく思ってると。

それこそ、私、全然気にしてない。

拍子抜けするほど、あっけなく言えた。
照れずにこれから、弟の顔を見ても笑顔でいられそう。
年末年始、実家に帰って、弟家族に会うのが楽しみ。

あ~、言えてよかった。弟だけ仲間はずれにしなくてよかった。

お母さんからの宿題、「弟のことよろしくね」に「いやよ」って返事したけど
今から、「任せて!」と、返事を書きかえます。

みんな、大好き。



体の大掃除してきました! [ヨガのこころ]

12月3日。京都でのマスターのWSへ参加してきました。
朝、5時45分出発予定だったのですが、
夫が4時に目覚ましをセットしてくれていたのを
私が「5時」と勘違い。

なんと!朝から水シャワーにスリヤナマスカーラに洗濯する余裕まであって
早起きは三文の徳だな~と、始まりから好スタート。

ご一緒する私の生徒さんと、職場旅行に行く夫に車で海南まで送ってもらって
電車にも上手に乗り継げて、順調に目的地まで到着。
しかし、朝ごはんから4時間が経過しており、私のおなかが「空っぽ」をアピール。
目的地到着を最優先して、京都は都会だからコンビニだらけのはずと思っていたので
途中で食料を調達しなかった。
痛恨のミス!と思いはしましたが、「オナカすいた」アピールは無視することに決めました。

そして、始まった「アンガクリア!!」
手、肩、背骨、胸、股関節、膝。関節に溜まったホコリを掃除すべく動かしました。

足の踏ん張りがきかず、手だけ動かしたいのに全身ダンスになってしまったり、
声出す必要ないのですが、うひ~とか、にゃ~とか声を出しながら
あっという間に2時間経過。
そのあとのトロ~ンとした眠気に最高なシャバアサナ。

始まる前に感じた空腹感はどこかにいってしまって。
休憩時間にお弁当を買い出しに行く気にもならず。
持参した頂き物の手作りクッキーで、満足。

で、2コマ目の「内なる太陽礼拝」クラスがスタート。

部屋もカーテンをしめ、明かりを消して、目もつぶっての状態で
何ラウンドやったのか、数える気にもならず、隣の人と、ちょいちょい
触れ合うのも、全然邪魔には感じず、
自分の無知を照らす灯りが見えそうな気がしてくる終盤。

マスターのおっしゃる自分を俯瞰する自分、ATMAがいつも見守ってくれている
というのが、なんとなく感じられるような。

「あの人、何なの?」と、人を気にする私も
「どう思われてるのかな」と、人からの視線を気にする私も
「あ~、目の下のクマが消えない」と、私を気にする私も
いつもうるさく、にぎやかに私の中で騒がしいその3人が静かになって
うるささの中で、目立たなくなってしまっている4人目の私。

生まれてから、今までずっと静かに見守ってくれている私が
すーっと際立って、その4人目の私が前面にでてきたとき、
自分の中から「静けさ」が生まれ、平和が訪れる。

シャバアサナから起き上がっても
しばらく、口を簡単に開くのがもったいないと思えるような
静けさを味わうことができました。

この4人目の私は、実は常に確実に私の中にいる。
その時に急にどこからか来てくれたわけじゃない。
私が、その存在を際立たせるために行動をすればいいだけ。

ヨガをしている人には、人生の困難が訪れない。と、いうことはない。
ヨガをしていれば、いつも「いいこと」しか起きないということではない。
どんな困難も、家族の問題、金銭の問題、職場の問題、健康の問題、天災も
あらゆる困難は、人生に起きる。

けれども、ヨガをしている人は、それらの問題で、苦しまない人になる。

なぜなら、4人目の俯瞰して見れる私が
自分の中にいてくれることを知っているから。

そして、最後のクラス「瞑想とプラナヤマ」が始まりました。
マスターのWSでは、いつも起きることではありますが、
目の前で、首の痛みを手放す人がいる。

ヨガで、痛みから解放されるのだ。という事実を目に焼き付け、
自分たちも顔に手を当て、声を出すというワークを行って
簡単そうに見えて、力が入りすぎたり、傾きが大きくなったりと
「正しく行う」ことは、すぐにはできなくて難しいのだけれど、
直してもらいながら、続けていったら、

ヨガの練習をしたのだから、もちろんのこと!当然のことですが!
首も肩も軽~い。そして、背骨を伝わって、効果は腰にも足にも。

そして、グルグルと全身を床に預けて転がる気持ちよさも体験。

さらに、目をつぶって、立つというクリアも30分。
これは、VOYでの課題でもあるので、立ち姿勢の直しをいただいて
本当にありがたく。

目をつぶって、立つ。
これも毎日やっているから、京都でのクリアは、12回目とか、
それぐらいになるのですが
最初のときとだいぶ変わってきました。体の感覚が。

これからどうなっていくのか。すごい楽しみです。

でね、合計6時間。とは、全く感じられないWSが終わってしまいました。
結局、起きてから朝ごはんとクッキー以外口にしていないで、12時間。
体が軽く、心が満ち足りていれば、「飢餓感」みたいな空腹感は消える

あ~、楽しかった。よかった~。私がご一緒した生徒さんたちも楽しんでくれた。

で、終わるわけないですよ。
私は、私が目をそらし続けている「ごめんなさい」を言うべき人を思い出しました。
大掃除をしたから、放置してる大きなホコリの塊が、めっちゃ目立つ。
思い出したんじゃないね。いつも知ってるのに目をそらしてたんだね。

生徒さんの運転のおかげで車で快適に帰宅して、ぐっすり寝て、
日曜日の朝は「首がない~」状態。固くなっている気はしてなかったけど、
「首がない」と、思ったってことは、いつもは存在を主張するほど固く
なっていたってことです。

で、いつも嫌々と面倒くさいと文句たらたらで、やっている
地区の家々へのお知らせを配るという、地域活動も
体も軽いから心も軽く、40分かけて、一軒、一軒のポストへ
お知らせを配る道が楽しくて、畑や山や川の様子にワクワクしながら
雨が降りそうな空の雲や雲の切れ間のお日様の光に
心がスキップを踏んでるようで。

私、この「お知らせ配り」こんなに楽しくできるんだ。ってびっくり。

そして、帰っていつもの10分瞑想をしようと座ったら
でっかいホコリの塊がどーんと胸の中にある。
もう目をそらしようがない。

よし!勇気を出して電話する。
と、思ったけど、逃げてしまっての今日の朝です。

仲間の勇気ある行動を聞いて、私もと、思いながら一晩逃げてしまった。
でも、やっぱりでっかいホコリがあるので、これを掃除する。
目をつぶって30分立てた私。WSをクッキー2枚でしのげた私。
会えば、ハグしてくれる仲間がいる私。
一緒に京都まで行ってくれる生徒さんがいる私。
海軍カレーをお土産に買ってきてくれる夫がいる私。

きっと、できる。
大掃除ができたら、報告を聞いてやってください。




知らないのは愛し方 [ヨガのこころ]

東京でのマスタースダカーのWSに行ってきました。

今回もまた、心に響くお話を伺ったので、シェアさせてください。

マスターからの質問。
自分のことを好きだ~と言ってくれるよく知らない1万人に囲まれているのと
自分が好きだと思う人、2人か3人か、4人ぐらいといるのと
どっちが快適で、居心地がよく幸せですか?

自分が好きと思う人といること。と、いうふうに私は思いました。
その場にいた人たちもみんなそっちの状況を選んだのですが。

そこで、また質問です。
一緒にいるだけで居心地が良い人たちに
「愛しているならこうしてくれていいはず」
「私を大切に思うなら、こうしてくれ」
「こんなに愛しているのに、なぜこうしてくれないの?」
と、なぜゆえに不平不満を持つのですか?

自分が好きな人と一緒にいられたら、それで幸せと言いながら
自分が好きな人と一緒にいながら、あれこれ注文をつける。
考えと行動が一致していないよね?
だから、苦しむんだよ。
「自分が好き」という気持ちがある人と一緒にいる。
それだけで、いいじゃないか。

自分が愛されたい、愛されていると確認したいという気持ちを失くして
自分が愛していることを好きだということを大切だということを
伝えることだけしたらいい。

あなたが、わかっていないのは、愛し方です。と。

そうだ~。
愛し方がわからない。

構いまくることが愛すること?
くっついていることが愛すること?
手をかけた料理を作ることが愛すること?
居心地良く家を整えることが愛すること?
高いプレゼントを買うこと?
食事に連れて行くこと?
喜んでほしいと思う事?

わかりません。
愛し方。

ただ、
こんなにしてるのに!とか、こんなに頑張ってるのに!とか
思っているところに愛はなさそう。

WSの前日、夫が買い物袋を家に運んでくれたのですが、電話が鳴って
慌てて電話をとるために、買い物袋を床へ落とすように置いて。
その袋には、卵が1パック入っていたので、グシャっと音がして
10個中8個の卵にひびが入ってしまいました。

私がしたこと。
買い物袋の中身の確認。
卵の割れていることを確認。
ボールを取りだして
「バカなの?ばかなの?ばか?バカじゃないの?」と
繰り返しながら、卵をボールに割り入れ。
生卵での保存はきかないから、卵焼きにしなよと夫に指示。

愛がない。

卵を不注意に割った行為に腹を立ててたのも確かだけど、
私の電話には出ないことが多いのに、そんなに慌てて電話に出たことへの嫉妬。
普段よりちょっと値の張る卵を買ったのに~という気持ち。
今日の夜から夜行バスに乗るから、
やることいっぱいあるのに余計な仕事を増やしてという気持ち。

そんな卵が割れたとは、関係がない気持ちがぶわっと噴き出しての
「バカじゃないの」攻撃になりました。

女性の脳幹はね、男性に比べて太いから一つの事柄からどば~と
いろんな感情をあふれさせれることができるんですよね。

いやいや、でも愛がない。
自分のことばかり。自分が損する?不利益を被る?という思いから出た言動。

私が車を廃車にしても、ひとつも怒らない夫ですのに。
割った卵8個分で作った卵焼きを夜行バスで朝帰りした私の朝食用に
一人分を残しておいてくれるような愛がある夫ですのに。

私の中の虎は、制御が全然ききません。
がーっと、暴れまわるばかりです。

愛し方を知らない私。
マスターのところでヨガ勉強しても何も変わらないねと。
夫に言われる私。
変わっているつもりなのに、変わってないとこをは変わってなくて。
私の中の動物性を抑えられる日が、いつか来るように
一歩一歩進むしかない。
そこに愛がないって気が付けるようになっただけでも進歩だと思って。
今日もヴィヤガラアーサナの練習をします。



印南祭を終えて [ヨガのこころ]

日曜日、とってもいいお天気で本祭を迎え、そして終わりました。
「今年も終わったな~」という声が聞こえてきて、祭の後のさみしさもしみじみ。

今年は、「宿」というお世話係?の役目が回ってきて、ご近所の方と3人で
お祭りの主役である男性たちが集会所や浜でする食事のお世話をさせていただきました。
と、言っても昔と違って、料理は買ってきたもの。お寿司を切ったり、かまぼこを切ったり
食事用にテーブルを整えたり、片づけをしたりするぐらい。買い出しもやっていただいたので、
私にとっては、仕事の内容は、それほど大変ではなくて、おしゃべりする時間も余裕もありました。

普段は、顔が合えば挨拶する程度の知り合いだった方とたくさんおしゃべりできたし、
準備や片付けのやり方も自分とは違って、「心遣い」をされる様子が勉強になったり
とてもいい体験ができました。

「宿」は、有志がやるのではなくて、地区の家が持ち回りで担当するので、
「やりたくない」とか、言えるものではないのです。
それこそ、カルマヨガ。役割を与えられたものを実行するだけ。

でも、そこから見えるものがある。

仕事のやり方もそうだし、ご近所とのつながりを感じるし、知り合っていくことで
身近になっていく。他人事ではなく、自分事になっていく。

知った人に対しては、親近感も持つ。

もし、災害があって、避難をしたとして、見知った人、話したことがある人たち
と一緒にいるのと、全く知らない初めて会う人たちと一緒にいるのでは、
居心地が違うだろうな、と想像してみて。

割り振られた仕事としての地区の中での役割って、すごいな、と思いました。
断れないから、仕方なくでも仕事を一緒にすると、見知らぬ人は知人になり、
気になる人になり、放っておけない人になる。

もし、道で倒れているのを見かけたら、助けるし、
困っている様子なら、声をかけるし、
元気そうなら、うれしいし。

私が、夫の生まれたこの土地で暮らすようになって、
みんなに「見られてる」感じがあったのですが、
それは、「見守られてる」だな~って、感じるようにしてきたんです。

でも、今回「宿」の役をやってみて、本当に「見守られて」いたんだなって思いました。
だれも、上げ足をとったれ、とか、嫌味な目で見てるんじゃなくて、
本当に地区全体が大きな家族のように、見守ってくれてたんだな~って。
自分の中にも、住む地区を「うち」と表現する気持ちが湧いてきて、
自然と「うち」って、自分の地区のことを言っていて、地区全体が私の「うち」だと感じたんです。

お祭りって、きっと、そういう意味もあるのでしょう。
収穫を感謝して、地区という大きな「うち」のつながりを感じて、強くしていって
災害とか、何かが起きたときに、みんなでまとまって事に当たれるように。

もちろん、一緒に屋台を担ぐというしんどい思いを共有している男の人たちの帰属意識は
もっともっと強いのだと思います。だからこそ、私の夫も何の不満も言わずに
「道づくり」とか、参加するんだわ~。

東京の私の実家も祖母のいたころは、町内会が機能していて、私自身、近所の方にも
気にしてもらって、かわいがってもらって育ちました。
だから、この今の夫の故郷の地区活動にもそれほど抵抗はないのです。
いや、今年は役をさせてもらったおかげで、前よりずっと居心地がよくなりました。
自分の居場所が、広がって、地盤が強くなった気持ち。

格差社会とか、孤独死とか、引きこもりとか、
どこか違う世界の話のようです。
それぞれの家で、事情は何か抱えているだろうけれど、「地区」という共同体が
互いに見守っている。見張られているという取り方もあるでしょうけれどね。
私は、見守られている気持ちになりました。

愛を素直に受け取れるようになったな~。

そして、私の中にも見守る気持ちが湧いているのです。
地区のこどもは、みんなのこども。地区のお年寄りも然り。
私にできること、なんかありそうな気がするよ。

ちょっと、こっそりと考えよう。




断捨離 [ヨガのこころ]

先日、ヨガのレッスンで生徒さんから「断捨離ってヨガの言葉なんですね」って聞かれました。

そして、ぼーっと何の気なしに見ていたテレビでは、
ベトナム人の禅僧ティクナットハン師」の特集がやっていて。
師は、「自分の庭を手入れしなさい。」と。

私にどこからか誰かがメッセージを送っているに違いない。

先月の東京でのワナカムヨガスクールでの学びの日々から
私の内側に、またいろんな波が起きています。

「私は今のままが気に入ってます。今の状態で幸せなんです。」
と、怠慢に逃げそうになる私を師だけでなく、仲間の言葉が支えてくれて
今、毎朝の練習は、楽しみながら続けることができています。

ヨガの師であるマスタースダカーが、今回のTTで私たちに贈ってくれた言葉

「凧を空に高く上げたいと、凧につながる糸を切ったところで、
凧が上昇するのは一時、糸の切れた凧は、落ちるだけ。

自分が今手にしているつながりの糸は、自分を縛り付けるものととらえず、
自分という凧を空に上げてくれている糸なのだ。

人として、生まれてきたこと。そのことだけで、もう十分に満足すべきなのだ。
もっと、高みを目指そうと欲を出して、自分の周りの糸を切ろうとしてはいけない。」

この言葉を味わったから、夫と話し合うことができた。

夫が2時間も話し合いに付き合ってくれたおかげで、ここ1年ほど、胸にモヤモヤと抱えていた
いらだちと苦しさを手放すことができました。

さて、さて。
やっぱり、次は断捨離ですよね。

自分の中に溜まった「怒り」「不安」「寂しさ」を見つめ、感じ、やさしく抱きしめなさいと
ティクナットハン師は、話されました。

瞑想のとき、頭の表面にあることに思いをとられて、
ざわざわとした状態で座ることがほとんどの私。

少しずつですが、自分の中を見る試みができるようになりました。
そうしたら、いつも5分座っていたらもぞもぞと動きたくなる体が、
30分座っているのも苦に感じなかった。

心の断捨離、続けていこう。
もっと、軽やかな心でいたい。変容したい私を応援していこう。

そう、、、実際の押入れの方も。
扉を閉めちゃえば、中が見えないのをいいことに、
乱雑に物にあふれた「開けてはなりません」のあの場所。

きっと、私の頭の中と一緒でしょう。

次のヴィジョンオブヨガを受講する前までには、
新しい学びを受け取れるよう、頭も押入れも引き出しも整理していこう~。
だって私、学ぶチャンスを手に入れたんだから!!




ちゃんと聞く。 [ヨガのこころ]

東京に滞在8日目。あっという間でした。
ヨガの勉強とお盆と友人に会ったり、会えなかったり。
充実した時間を過ごしました。

実家の父に
「よく、旦那さんがこんなに長く家を空けるのを許してくるね」と言われ、
友達にも「すごい愛されてるよ」と、言われ。

すごい愛をくれている夫であることを他の人の言葉で確認する私。
私はちゃんと彼に耳を傾けていなかった。
自分の見たい目線、思い込みの目線で、彼を見てた。
大好きって言いながら。
彼に愛されている自分であることを信じきれてなかった。

シニアTTとヴィヤガラアサナTTで、何度も何度も繰り返して
マスターが言ってくれた「聞け」と、いうことは単純そうで
簡単そうなのに、できてるつもりで、全然できてない。

夫から
「わいの言うこと、聞いてないよね。」って、何度も何度も
聞けてない私を直接に指摘してもらってたのにね。
聞けてないってことすら、聞けてなかった。

明日は、久々に顔を見て、聞ける言葉を
神様の言葉と思って、師の言葉と思って聞こう。

だって!
そこそこうまくいってるつもりな私たちの生活を
いつも自然に笑顔が溢れる生活にしたいから。

空港に行く私を送ってくれた夫が、車の中で見せてくれた
私にとって超キュートな笑顔を
毎日、見たいって、あの時すごく思ったから。





梅シーズン最盛期 [ヨガのこころ]

先週から、毎日夫の実家の梅作業をしております。
結婚して以来、9年目。

最初の3年は、毎年発熱してました。
おととしには、「もう行きたくない」と、泣きべそをかいて
「嫁は、熱を出した」と、夫が実家に言ってくれちゃったことも。。。

ume.jpg

でもね、私、去年からは、わりとのびのびとできるようになりました。
自分の考え方を変えられたから。

『役に立つ嫁』でいたかった私。
奥歯をかみしめるように、何かに負けるもんかと頑張ってた。

自分が作った『よくできた嫁』イメージを追いかけてた。
子どもを授からない=嫁失格っていうようなイメージも自分で作ってたし。

周りから評価してもらえないと折れそうだったんでしょうね。私。

妊娠したら、梅作業を手伝わなくてもいいのに!
そうとも思ってました。

だけども今は、体はくたびれているけども、
梅作業が休みになったら、「やった~」って思うけども、
明日も7時から梅畑に行くことが苦しくはないのです。

自分で勝手にストーリーを作るな。
自分が自分に満足していたら、周囲に何を言われようと泰然としていられるはずだ。
毎日はお祭りだ。今を見つめて、今を楽しめ。

マスターに言われた「ヨガ」の心が、染みて来てる気がする。

以前の梅採り作業中、
私ってば、何にイラッとしたり、
グッと辛くなったり、
していたのかしらね~。

とりあえず、今は体の疲れで眠いけども、まだまだ、私やれそうです。

そんな梅作業にも効果があるヨガに出会えるチャンス
6月21日に東京にあります!!

近くにお住まいの方、お時間のある方、お時間を作って、行って体験してください。
あなたが「辛い」と思っていることが、
自分で作った「辛さ」だってことに気が付けるチャンス。

ヨガ奉り

梅が終わってたら、私も裏方として参加しようと画策中。
梅が終わってなかったら、和歌山から心だけは参加。
私のヨガの師が私のヨガ仲間が、めっちゃ笑顔で迎えてくれることを保証します。

一人でふらっと行ってもらって大丈夫。時間も気にせず立ち寄ってもらっても大丈夫。
気になるプログラムに参加してもらっても無料。
お子さん連れも、もちろん大丈夫。行ってみてくださいませ。


いつのかまにか [ヨガのこころ]

5月も下旬。
もう、田んぼに水が入って、カエルが一日中合唱してます。
なんと、蛍も飛んでいるという噂。蛍のこと、すっかり忘れてた。

おかげさまで、この5月は、新しい生徒さんとの出会いもあり、
久しぶりに、また顔を見せてくださる方もあり、
ヨガの神様に愛されてると感じることがたくさんありました。

なのに、不満に思ったり、口角が下がったりも相変わらずしております。
それに気が付くようになっただけでも成長したんだと思いたい。

「好き・嫌い」のどっちか、「0か1」のどっちか
そんな風に世界をみるのを止めなさい。と、ヨガは教えてくれるのにね。

友達と、「トランプ52枚にあなたの好きなとこを書くラブレター」の話をしていて
彼女が、ダーリンの好きなところ52個考えてみると、言うので
私も考えようとしたのですが。。。

好きはさ、嫌いにもさ、通じるんですよね。その時の私の心ひとつ。

夫が、ソファにもたれて寝ている姿を 

愛おしい と感じるときと
おじさんになったな~ って感じるときと、 
布団で寝ればいいのに! とイラつくときと。

夫がうたたねをしているという事は変わらないのに。
私の受け取り方で、「その事」の印象が変わり、
同じ光景なのに「違う味付け」になってしまう。

今まで、生きてきた中で、きっとこうやって自分で味をつけてしまったことが
たくさんあるのだと思うのです。

先週、塩味なしで3食摂るという宿題にやっと取り組んだのですが、
塩、しょうゆ、みそのことばかり考えてしまいました。
で、最後の夕食をカレー粉で味付けして食べたのですが、
塩なしでも舌に味を感じながら食べられて、こういうことねと、思ったのです。

ないものに囚われると、あるものが味わえない。
今までになく、カレー粉の味が、舌に鋭く感じて、
ないことから見えるものもある!と思えました。

10年ほど前に、ダイアログインザダークという場に行って、
真っ暗闇の中、目を開けていても何も見えない状態で、
白杖を使って、見知らぬ人たちとグループになって建物の中を歩き回り、
最後にオレンジジュースを飲む。という経験をしたときも

視覚が頼れない分、
見知らぬ人なのにグループの人とのコミュニケーションに頼ったり
自分の触覚、嗅覚が敏感になるのを感じたりしたことがありました。

こんな風に、経験はしているのにね~。
自分の生き方に日々、自然にそれを理解してとりいれていけたらいいのに。

あ!すごくいいこともありました。
股関節を緩ませる感覚が、以前より感じられるようになったのです。
そしたら、あぐらで座っているのが気持ちよくて気持ちよくて。

瞑想の最中も、意識があっち行ったり、こっち行ったり、たった10分でも
頭の中がせわしなかったのですが、

股関節が緩ませられて、足のつま先まで、血が巡るのが感じられるようになったら
座ることも寝ること立ってることも気持ちよくて、気持ちよくて。
満ち足りた。気分になるんです。

なのに、まだ口角下げたりしてるって本当にどういうことなんでしょうね~。
ま、のびしろがまだまだまだあるということで。

今日は、午後から梅採り。
私は、今シーズン2回目の参加です。
満ち足りた気持ちで、取り組める。かな~。
全ては、私の心次第。
ワクワクで行ってきます。












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