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ヨガをヨガとして伝える [サークル]

今年も、年明け早々から新しい出会いをいただいています。
グループレッスンへ職場の同僚を連れてきてくださったり、
旦那さまを連れてきてくださったり、
夫の父へ「ヨガやりたい」と連絡をくださったりして

初めましての方と、去年もお世話になった顔とが
入り混じってのレッスン。

しかも、私は自分が尻もちついて負傷中なので、
言葉で伝えるだけで体を動かしてもらう。。。
自分のイメージをわかってもらえるように伝えるって難しい。

それは、そうと

自分がヨガをして何かしら「いい!」と、
思ったからこそ、家族や友人を誘って来てくれている。

なので、私の責任は重大です。
ヨガをヨガとして、伝える。

年末年始の休み中、
肩も首も痛くて痛くて、「痛い~」と言い続けていて
旦那様に「早く、ヨガに行って」と、言われていた方もいて

ヨガは、「いい」が体験している方だけでなく、
その方の家族にも浸透してきている。

私の体は1つなので、分裂できないけど、
「いい」と思えるヨガを欲してくださる方がいっぱいいる。

この人口の少ない和歌山の日高郡でこの人数です。
日本中にどれだけ、「ヨガ」に出会ったら
日常が快適になる人がいることか。

「ヨガ」をマスター・スダカーから直接に教われているという
幸運を自分のものだけに、とどめておくなんてもったいないことはできません。
ヨガのレッスンも楽しい。
レッスン後にみんなの顔が笑顔になるのもうれしい。

それと同時に、自分の予定表の埋まり具合を見ながら思うのです。
もっともっと、マスターの下で「ヨガ」を学ぶ人が増えたらいいのにって。

今、ヨガインストラクターをしている人が、みんな「古典ヨガ」を知ったら
すごいことになると思うの。
マスター・スダカーから古典のままの「ヨガ」を受取って欲しい。
そして、一緒にヨガをヨガとして伝えていくことができたらいいのに。

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新しい日々 [ヨガのこころ]

いぬ.jpg

新年、あけましておめでとうございます。
幼稚園児の姪が、「昔は、好きだった」なんて、
新年会のすき焼きを食べながら、具の好みを話してくれて
この子の昔って、何年前のことだろうと思いました。

さて、2018年は、平成30年。
今年は、いろんな書類の平成表記もわかりやすくて助かる。

去年の12月に毎週のように参加したワナカムヨガスクールの
ワークショップのおかげで、今まで学んできたことが
ようやくちょっとわかってきたような、自分の中に落ち着いてきたような
そんな気がしています。

「愛する」って何?
「愛」って何?
というのが、ずーっとわからなくて考えてたことだったのだけれど
自分ひとりで考えてても、やっぱりわからず。
だから、耳にし、目にしたことから「愛」への答えを
拾って来たのだけれど、「本物」と「本物らしいもの」は
やっぱり違う。

ドリカムの「大阪LOVER」の主人公の女の子に、自分を重ねて
身もだえしていたこともあったのですが、今、この曲を聞くと、
1人で、感情ジェットコースターにのって、妄想を膨らませていた
イタイ自分を諭しに行きたくなる。

年末、お正月番組の合間に再放送している「逃げ恥」も
大好きだったドラマですが、今は「妄想しないで、直接対話しなよ~」と
思う。でも、たぶん、そのジレジレ感が楽しいんですよね。ドラマも小説も曲も。

人生は、たぶん、とてもシンプルに日々を重ねていける。

でも、ドラマや小説のように、いろんな人が自分の思いと相手の思いとを
妄想して、膨らませて、苦しんだり、悩んだりという味付けをしている。

昨日、スーパーで、おばあちゃんが孫に
「欲しいって言ったり、要らないって言ったり!どっちやの!」
と、叫んでるのを聞いて、またふいに思いました。
さっきは、欲しいと思ったし、今は要らないって思ったんだよねって。

人生は変化し続ける。すべてのものは、変わる。それは真実。
「なんで?」「どうして?」と、疑問を持つことがいいことである。
と、言われてきたから、いろんなことに理由が欲しくなる。
でも、望んでいた理由じゃなければ苦しくなるし、それが自分でさえそうなのに
ほかの人の行動に全部「理由」を求めていたらば、身動き取れなくなる。

ほかの人の行動に
「愛しているなら、こうして」
「思いやりがあるなら、こうしてくれるはず」
「私の望む通りに行動してくれないのは、愛してないからでしょ!」
と、叫んでみても、ね~。
私の想定の範囲は、こうです。と、大きく書き出しているわけでもなく、
ほんとの希望を伝えることをしなかったら、誰にもわかるはずがない。
言わなくてもわかってよ!と、いうのは、最大のワガママなんでしょう。

紅白で、私の好きな曲、「The Rose」が歌われてて、
久しぶりに歌詞を見て、ジーンときて、
ああ、この歌もまた、私が聞きたいように聞いてきたねと、思ったのでした。

愛は、愛するということは
その人の為すことを見守れるってこと。

私は、年末に植えた球根を、気になるからといって、
一時間ごとに掘り返して、根の張り方をチェックしたりしない。
春になったら、茎をのばして、花が咲くのを水やりしながら待っている。

愛するっていうことは、その人をいじりたおして、
構い倒して、抱きしめ続けることではなくて。
耳に優しい甘い言葉を言い続け、要求をすべてのむものでもなく
言わなくたって、わかってるよ。と、先回りして何かを差し出すのでもなく
ずーっと一緒に居続けることでもない。

その人が為すことを見守って、
その人が為すことが、意に沿わないからじゃなく、
その人にとって、危険だったり、するときにだけ口をはさんで
必要とされたときに、そばにいたり、声をかけたり、抱きしめたりして
その人から、自由を奪わずに、自分の自由も奪わせずにいること。

春になったら花開く。
それを、待てるっていうことが、愛なのかなと。

まだまだ、理解は浅いんだけれど
そうかなって思ったこの年末年始です。

だから、とっても穏やかな年明けを過ごしています。
しみじみ、うれしい毎日です。
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